新幹線での新型コロナ感染リスクは?

目的無き新型コロナウイルス対策。不可能な「ゼロコロナ」を目指す「茶番」はいつまで続くのか

新型コロナウイルスが発見されて、早いものでもう1年半近くになろうとしている。これだけの長い期間を経ても、まだ我々のコロナとの戦いは終わる気配が一向にない。当ブログも、コロナ蔓延により旅行需要が下がったことから閑古鳥が鳴いており、もはや新しいネタもないことから、「我慢の3連休」から始まって「勝負の年末年始」など、コロナより多くの人が精神に不調をきたすような様々な名言(迷言?)を生み出してきた日本のコロナ対策。いや「茶番」について、真っ向から物申したい。

ゼロコロナを目指すことは不可能だ

新型コロナウイルスはもう散々ご存知の通り、感染力が極めて強いウイルスである。1人の患者が周囲の人間の何人に感染させるかの指標である「実行再生産数」は、4月1日時点で1を上回っており、1人が感染すると、平均して1人以上の人間に感染させていることになる。当然、これを抑えるためには、人と人が触れ合う機会を減らさなければならない。それがテレワークしかり外出自粛という「対策」につながっている。

しかし、当初から疑問なのは、そもそも一時的に収束したからといって、「ゼロコロナ」が実現されない限りは、ふたたび誰かが感染してそれを広めるだけではないか。ということだ。そして、その疑問はいま、現実の解答として我々に突き付けられている。

コロナ患者が激増すると、その動きを見て「緊急事態宣言」に代表されるような一見「強そうに見える」対策が取られる。これを受けて国民は自粛に勤しむのだが、その効果が表れてくると、確かに新規感染者数は一時的に減っていく。しかし、ある程度まで落ち着けば、宣言が解除されると共に再び上昇に転じていく。これは感染拡大の初期段階から一貫して続いており、これの意味するところは「完全に抑えることは不可能である」ということである。

人の移動を抑えつけてようやく、感染者数が減少あるいは横ばいになる程度なのであれば、今後もだらだらと時短営業や外出自粛も続けざるを得ないのだろう。目的が「今のコロナ患者を抑える」ことなのであれば、それで良い。しかし、それが最終ゴールでないことは誰の目にも明確である。我が国のリーダーには相変わらずリーダーシップが無いのだが、このまま延々と対策を続けたところで、最終的なゴールは全くイメージできないことには、国民の疲弊を招くだけだ。

コロナに対し、このような対策を続ける気なのであれば、インフルエンザのような特効薬が生まれない限り、永遠に「不要不急の外出」をすることはできないだろう。この先何年かかる話なのだろうか。

今の対策はいったい「誰のための対策」なのか

新型コロナウイルスは、感染力は非常に高いものの、致命的な症状が出ることは若い世代では稀であることはよく言われている。以下、東洋経済オンラインのサイトが非常によくできているので確認してみてほしい。以下、致死率等の数値の記載があれば、4月15日時点の数値である。

参考 新型コロナウイルス国内感染の状況東洋経済オンライン

10代から30代の世代は、感染者がとても多いだの気の緩みだの言われているが、感染者の累計と死者数から致死率を割り出すと、10代はゼロ(!)20代ならおよそ3万分の130代であってもおよそ3000分の1程度の致死率であることが伺える。つまり、新型コロナウイルスは若い世代にとっては、ほとんど脅威のウイルスではないのだ。

しかし、今回のコロナ対策で一番貧乏くじを引いているのは、この10代、20代を中心とした若い世代であることを忘れてはいけない。高校球児たちが涙した2020年は記憶に新しいところだが、そのほかにも大学は軒並みオンライン授業で登校禁止、小中高生は修学旅行の中止などというショッキングな決断が続々と耳に飛び込んでくる。また、30代は人生でまさに「働き盛り」である。しかし、コロナ対策により業績が悪化。職を追われた人は数多くいるだろう。

自分たちが罹ってもほとんど軽症で済むようなウイルスに対して、ここまで対策しなければならない理由は何なのか。それは、高齢者の致死率が比較的高いということである。感染力が強いため、高齢者に感染を広めてしまうと、70代では20分の1、80代以上だと8分の1もの致死率となっている。

このように、誰のための対策かといえば明確で、それは「高齢者を守る」ことに特化したものであるということである。高齢者を守るために、若い世代はひたすら自粛し(ただし通勤はOK)、旅行は中止や延期を求められ、「新しい生活様式(死語?)」に沿った「ゼロコロナ」を目指した対策に延々と付き合う事になる。

水際対策で防衛できている時ならいざ知らず、全国に蔓延した今、必死にクラスターを追ったところで、全てを把握しきれるわけがない。根本的に対応が間違っていると思うのだが、1年経って成果が出ないにも関わらず、同じやり方に拘泥し、現役世代が大きな影響を被っている。

なぜそこまで高齢者を守るのか。ここからは想像の域を出ないが、いま、日本の政治を握っているのは、高齢者といっても過言ではない。少子高齢化が進む中、有権者には等しく1票が与えられているが、このように世代間で利害が一致しないものについては、当然だが多数派の世代が有利になるようにできている。若者は選挙に行かないと嘆く人がいるが、このような世代間問題については「数の暴力」ともいえる不公平により、もはや選挙には行くだけ無駄と考える若者もいるだろう。要は、選挙で選ばれる政治家は、高齢者の票を逃したくないのである。そのため、思い切った策をなかなか取れないのだろう。

病床ひっ迫の理由は簡単だ

例え、重症化することがなくても、若者が感染することで病床が埋まってしまうという考えをお持ちの方もいるだろう。これは、新型コロナ患者の扱いが、一種指定感染症とほぼ同等というありえない条件での運用がされているからに他ならない。

一種指定感染症とは、「エボラ出血熱」や「ぺスト」のような致死率50%を超えるような非常に危険な感染症が並んでいる。これに指定された場合、防護服の着用や、汚染区域と清潔区域の徹底的な分離などが求められる。さらに、汚染区域には関係者以外立ち入ることができないため、院内の清掃などの業務も、医療従事者がせざるを得ないのが実情だ。

そのような状況で、病床が確保できるわけがないのだ。たとえ、物理的に確保できたとしても、それを運用していくだけの人数が圧倒的に足りない。1年前であれば未知のウイルスとの戦いに備えて、それぐらい思い切った対策を取ってもよかったかもしれないが、ウイルスの本性が分かってきた今になっても、1年前から時が止まったまま高レベル指定感染症に類する対策を続けるのは愚策に他ならない。そこの見直しをすることなく、病床が足らないと言っているのは、ある意味当然のことである。

あわせて、ここ数か月でテレビを賑わせているワードに「変異株」があるが、基本的に変異株に感染したからといって、特に何か対策が変わるわけでもない。また、特別に致死率や重症化率が上がるという話も聞こえてこない。特異な例を挙げてマスコミが必死に煽っているが、変異株と原種では何か決定的な違いは見いだせたのだろうか?

広義の「コロナ関連死」が見えない危うさ

そもそも、コロナ関連の死亡者の統計に、広義の「コロナ関連死」は存在しないのだろうか。自然災害では、いわゆる「関連死」といわれるものまで追跡されている。例えば、地震災害により避難生活を車で送っていた人が、血栓症(いわゆるエコノミー症候群)で亡くなるとか、震災による経済苦などを理由に自死により亡くなると、自治体の判断にもよるが、関連死として扱われる。

ここでいう広義の「コロナ関連死」というのは、コロナウイルスによる直接の影響ではなく、一連のコロナ騒動により、経済的に困窮し、命を絶ってしまった人のことを想定している。

厚生労働省が2020年12月に、「コロナ禍における自殺の動向」という資料を発表しているが、コロナ騒ぎが顕著になった2020年6月以降は、過去5年で最悪レベルの数値で推移している様子が見て取れる。もちろん、全てがコロナ関連だとは思わないが、平均より多い数値に何が影響しているかといえば、コロナは無関係とは言えない。というより、ほぼ間違いなく影響しているだろう。

日本経済新聞も、以下の記事で2020年の自殺者について記事にしている。前年より人数にして750人ほど、自殺者が増加しているとのことだが、特筆すべきなのは、若い世代や女性の増加が著しいということである。特に2020年下半期は、経済苦による自殺も増えており、経済苦の原因がコロナ対策に起因するのかどうか、詳細に調査すべきだろう。コロナ対策により、コロナでは本来亡くなる確率の低い若年層の命が失われてゆくのは、大いに問題だ。

参考 20年の自殺者2万919人 11年ぶり増加、コロナ影響か日本経済新聞

ビジョン無き対策は対策ではなく無策に等しい

ここまで見てきたように、日本のコロナ対策は、政治家、有識者、国民の意識が見事にかみ合わないまま、1年以上が経過してしまった。

政治家は「自粛」や「気の緩み」という言葉を多用し、まるで国民に責任を押し付けるかのごとく責任を回避しようとし、有識者はただひたすらに感染拡大防止一辺倒の意見しか発しない。本来、国のトップの仕事というのは、そうした意見を総合的に判断、とりまとめを行い、「より具体的な将来ビジョンを描いて国民に訴える」ことで、はじめて国民の協力が得られるものだ。しかし、残念なことに、この国のトップは、前任者も現任者も、それができないまま虚しく時間が過ぎてしまっている。

感染が拡大すれば、やれマンボウだ、緊急事態だと騒ぎ、感染が縮小すればそれを解除。しかし解除が裏目に出て、また感染爆発。この繰り返しを国民は何度見てきたのだろうか。そんなことをしている間にも、経済に困窮した働き盛りの世代が命を絶ち、本来なら夢の溢れるゴールデンウィークも、国民が皆鬱屈した顔で迎えることになる。

新入社員に目標設定をさせるときも同じであるが、目標設定の基本は、まずは「ゴールを決める」ことから始まる。ゴールに到達するために足りないものは何かを探し、理想と現実のギャップを埋めてゴールに到達して目標達成となるのだが、この国のリーダーたちには、それができないらしい。

ゼロコロナが無理である以上、目指すべき道はひとつであるが、いざというときの政治家の責任逃れと、「やってる感」を出すための政治パフォーマンスとして、「緊急事態宣言」が使われてしまっているのが、政治に対して失望しか感じられない。本当に緊急事態なのであれば、個人の私権を奪うような強制力を持たせた対策をするのは当然であるが、その結果による責任を取りたくないというのが政治家の本音だろう。

結局どのような対策が正しいのか

どのような策が正しかったのかは、いずれ歴史が証明するとは思うが、今の日和見的な自粛要請の繰り返しが正しいという結果になることは、絶対に無いだろう。とはいえ、無策の状態で自粛要請をいっさい解除し、コロナ前と同じ生活に戻せば、医療機関は一瞬にして大量のコロナ患者を抱えることになる。

そのために、まずは新型コロナウイルスへの異常なまでの特別視をやめることだ。先に出た、指定感染症の見直しである。これにより、軽症や無症状の人の相手をする必要は基本的になくなる。重症者のみ入院すればよいと思うが、今はそれに対応できる病院は限られているうえに、エボラ出血熱並の体制で治療にあたっているので、指定感染症レベルの見直しにより、どこの病院でも新型コロナウイルスに対する症状に対応できるよう、緩和するべきだ。こうすることで、一般的な病院においてもコロナ患者の受け入れが可能となる。いわゆるインフルエンザ等と同様の考え方である。インフルエンザにはタミフルやリレンザ等の特効薬があるじゃないかと思う人がいるかもしれないが、基本的に特効薬が効くのは、感染間もない人であり、こじらせて重症化した人への対応は、基本的に対症療法しかない。また、新型コロナウイルス自体、一般的な風邪症状を引き起こす既存のコロナウイルスと同じであると考えれば、今後も特効薬など出ずに、基本的には対症療法で症状を抑えたうえで、自らの免疫力で治していくということに変わりはないだろう。

次に、ワクチンの接種を徹底して行うこと。ウイルスの伝播は、実効再生産数が1を超える。つまり、1人の患者が1人以上に感染させることで感染拡大していく。ワクチンにより、感染しても発症が抑えられれば、咳などにより患者から体外に放出されるウイルスは大きく減少するため、実効再生産数の減少に大きく寄与する。

これらの対策を国全体で早急に取り組み、一刻も早く「コロナ後」の世界を目指していくことが大事である。「コロナ後」ではなく「ウィズコロナ」かもしれないが。

目的もなく、とりあえず「やってる感」を出すために中途半端なことをダラダラやるコロナ対策。いや「茶番」は、もう要らない。

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